僕らは全員、ちいかわの登場人物たちの破片を寄せ集めた「キメラ」なんじゃないかって、ぼんやり考えていた。
ちいかわとは人間そのものであって、ちいかわの世界とは人生そのものじゃないかと思うんだよね。
映画の余韻に浸りながらの帰り道、ハンドルを握りながらそう思った。
ちいかわの舞台は長野県だとか、公にはなっていないその舞台裏についてはいろいろな考察がある。
考えたら謎だらけのその背景は、たくさんの妄想の入り込む余地があるからおもしろい、と思う。
そして、僕には僕の妄想の世界がある。
誰にだってあるはずなんだ。
臆病で、どれだけ準備を重ねても本番前には手が震えて冷や汗をかく、ちいかわのような部分。 ときどき致命的に抜けていて、ドジを踏むけど前向きなハチワレのような部分。
「イーーーヤハー−−ッ!」って奇声を上げてテンションが上がり、楽しくてたまらなくなるうさぎのような部分。
勇敢に戦って、頼りになる強く優しきラッコのような部分。
おいしいものを前にして、ただひたすらに幸せに突き進むくりまんじゅうのような部分。
泥臭く努力して、少しずつ成長していくシーサーのような部分。
欲望にどこまでも正直で、かわいいものやかっこいいものに憧れて必死に真似をするモモンガのような部分。
誰かの世話を焼いたり、さりげなく気配りをしてしまう古本屋さんのような部分。
管理したり、陰で見守ったりする鎧さんのような部分。
そして、暴れるでかつよや、理不尽な怪異のような部分。
それぞれの純粋な姿に対する憧れはあるよね。
うさぎみたいに叫んで人の目を気にせず楽しみたい日もあれば、ラッコみたいに頼もしくありたい日もある。
だけど、どれかひとつの完璧なキャラクターになんて、なれやしないんだ。
準備を重ねても本番前には手が震えるし、誰かのちょっとした機嫌に怯えて冷や汗をかく。
そんなダサくて情けない自分を直視しながら、僕らは「大人」っていう仮面をかぶって、必死にハチワレやラッコのフリをして生きているのかもしれない。
どれかひとつの完璧なキャラクターになれるわけじゃない。
多面的な自分、その全部が混ざり合って蠢いている。
自分の中に、あの世界の住人が少しずつ全員いる。
臆病な自分も、調子に乗る自分も、ずるくて欲望に忠実な自分も。
全部が混ざり合っている。
日々を生きて、時には苦しんだり楽しんだり冒険をしたりする。
それってまさに、ちいかわの世界そのものだし、僕らの人生そのものじゃないか。
それが僕という人間の正体だし。
たぶん、みんなの正体でもある。
結局僕たちは、いろんな感情や弱さを抱えたまま生きていくしかないんだと思う。
完璧な「誰か」になんてなれなくて、いろんな感情や弱さを混ぜ合わせたまま生きていくしかない、不器用で愛おしいキメラ。
軽い渋滞に紛れて進む帰り道。
エアコンの風が心地よく感じた。
キメラはキメラなりに、明日もまた、胃を痛めながらも生きていくしかないんだよね。
そう思ってまた、ハンドルを握りしめる。
僕の人生のハンドルも握りしめる、そんな帰り道。


