あのね、聞いて。
絶望と希望の話なんだけど。

朝から絶望しているのは、君だけじゃない。
鏡に映るその赤いパーカー姿は、どう見ても「完成されたパンダ」ではなく、中身が透けて見える張りぼての欠陥品だ。
ナニモノにもなれない焦燥感は、体内の苺シロップが濁っているサイン。
注目されたい、成功したいと願うその渇望は、空っぽの胃袋が求めている甘いパフェのようなものだ。
どこかで肉体を酷使して働いている人がいる。
彼らが流す大粒の汗は、まるでドロドロに煮詰まったカラメルソースのように重く、地面に落ちては消えていく。
すごいと思う。
それは彼らが「自分の肉体」という資本を切り売りして、生きるためのカロリーを確実に獲得している証だからだ。
それに対し、僕はネットの海に無駄なデータをまき散らしている。
それは誰の栄養にもならない、賞味期限の切れたお菓子のカスのようなゴミだ。
成功という名の高価なケーキに手が届かない時、僕らは自分を欠陥品だとレッテル貼りして安眠しようとする。
車のスピーカーからB’zが流れてきた瞬間、脳内はパチパチキャンディをぶち撒けられたかのように弾けた。
大きな声で歌うことは、現実という重たい防音壁をぶち破るための物理的な衝撃波だ。
不安が飛んでいった気がするのは、単に脳の回路が一時的にショートして、快楽物質でショートケーキの海に沈んでいるだけのこと。
それでもいい。
僕は「サナダムシ」と同じだ。
宿主が食べたものを横取りし、自らは消化器すら持たず、ただそこにある栄養を吸い尽くして生きていく。
自分を「ナニモノか」にしようと無理をする必要はない。
僕らはただ、この世界という大きな宿主に寄生し、誰かが流した汗や、誰かが鳴らした音楽の残響を啜って、丸々と太ればいい。
改善のアイデアなんて、ただのサナダムシの節分のようなものだ。
新しい節を一つ増やして、より長く、より強く、誰かの栄養を吸い取るための進化。
またチャレンジしてみよう。
いつか誰かがこのエッセイを読んで「おもしろい」と言ってくれたら、それは僕が君の脳内に胞子を飛ばしたのと同じことだ。
最後は誰もが栄養を吸い取られ、ただの抜け殻として歴史というゴミ箱に捨てられる。
埃が西日に照らされて、空中でダンスをしている。
しらんけど。
聞いてくれてありがとう。

