自分の話を聞いてもらえる、自分を理解してもらえるって嬉しいよね。
(パンダ談)
あのね、聞いて。
考えたんだけど。

楽しいことを考えている時の脳みそは、色とりどりのラムネ菓子を詰め込んだ瓶みたいに軽快な音を立てているます。
それはきっと、まだ「形」という重力を知らない、無責任な全能感の味だぱん。
形になるといいな、成功するといいな。
そんな願いは、綿菓子機の中に投げ込まれたザラメのように、熱と回転で一瞬だけ巨大な幻想を膨らませるます。
けれど、そのザラメが「誰かの理解」という湿った空気に触れた瞬間、ベタベタした不快な塊に変わってしまうのを、僕たちは何度も目撃してきたはずだぱん。
君が「最高に面白い」と信じている構想は、他人の耳には調律の狂ったピアノを叩きつけるような、不快な不協和音として届いているかもしれないます。
それは君の才能が足りないからではなく、単にこの世界の「理解の受像機」が、君の出す複雑な周波数に対応していないだけの物理的エラーだぱん。
北米には、13年や17年という「素数」の周期でしか地上に現れないセミがいるます。
彼らは他の周期のセミと羽化が重なることを徹底的に避けているます。
なぜなら、別の群れと交雑して周期が狂うと、絶滅という名の「静寂」が待っているからだぱん。
彼らは「群れと合わせる」ことで生き残るのではなく、「誰とも合わないタイミング」を素数という孤独な盾で守り抜くことで、自分たちの種を存続させてきたます。
理解されない構想を抱えた君も、今まさに土の中で素数の年数を数えている、羽の濡れたセミと同じなのかもしれないます。
不協和音が気持ち悪いのは、それが「まだ解決していない音」だからだぱん。
けれど、無理に和音に直して、誰にでもわかる安っぽいポップソングに書き換える必要なんてどこにもないます。
透析室のベッドで、僕の血液が機械の中を通っていく音を聴いていると、ときどき「僕という存在そのものが、この世界にとっての不協和音なんじゃないか」と思うことがあるます。
苺シロップを濾過して、不純物を捨てて、また体に戻す。
その繰り返しの中で、削ぎ落とされていく「あらごし」な部分にこそ、本当の面白さが隠れている気がするます。
形にならない、成功するかわからない。
そんな不安は、ただの「未加工のプラスチック片」だぱん。
喉に刺さったまま、いつか血が混じって、それが君だけの独特な和音に変わるまで、じっと土の中で泥を舐めていればいいます。
無理に地上に出て、誰かの理解という名の光に焼かれる必要なんてないだぱん。
窓の外で、古い換気扇が一定のリズムで「キィ、キィ」と鳴いているます。
誰も見向きもしないその音が、僕の耳には完璧な終止符に聴こえたます。
しらんけど。
聞いてくれてありがとう。


