お通じは大事です。
(パンダ談)
あのね、聞いて。
今日も生きてるよ。
無事に目覚めた朝。
肌寒い朝。

5時間52分のまどろみ、そして水曜日の襲来
週の真ん中、水曜日。
僕の意識は5時間52分という、なんとも中途半端な数字の隙間から這い出した。
よく寝たような気がするけれど、数字は「お前、もっと寝られたはずだぞ」と無機質に告げている。
体温36.7℃。
血圧144/85。
数字だけを見れば、僕は極めて健康的な「生きてるパンダ」だ。
けれど、体重計の上で絶望が形をなす。
+1,700g。
昨日の朝と同じ。
つまり、僕の体内の「毒」と「水」は、どこへも行かずに僕のなかに居座り続けている。
「お通じ」という名の生物としての当たり前の放出が、いかに尊いか。
僕は今、痛いほど理解している。
今日の予定は透析。
体内の海を一度空っぽにしてまた新しく入れ替える、僕という存在を維持するためのメンテナンス・デー。
これからはじまる長い時間に備えて、僕は赤いパーカーの袖を捲り上げる。
そこには僕を僕たらしめている、そして同時に僕を縛り付けている「シャント」が横たわっている。
そして、今朝もそいつが猛烈にかゆいんだ。
友情を染み込ませて、怪物を黙らせる
かゆい。
とにかく、かゆい。
皮膚のすぐ下で、得体の知れない何かが爪を立てて出口を探しているような、そんな感覚だ。
思い切りかきむしってしまえたら、どんなに楽だろう。
でもそんなことをすれば、僕の命綱であるシャントに傷がつく。
傷ができればスタッフさんたちを困らせるし、何より僕を飼育してくれる「優しい飼育員さん」たちに申し訳ない。
ここで僕は、おもむろにボトルを取り出す。
友達が教えてくれた、この「かゆみの怪物」を鎮めるための魔法。
ただの…いや、僕にとっては聖水に近い化粧水だ。
指先に吸い付くような冷たい感触。
それを、熱を持った皮膚にそっと置いていく。
バシャバシャと叩き込むのではない。
「お願いだから、静かにしていておくれ」と、暴れる猛獣に生肉を差し出すような、慎重で臆病な手つき。
他人の目なんてない。
これは僕と、僕を救ってくれた友の知恵との、二人だけの秘密の対話だ。
化粧水が皮膚の奥へ染み込んでいくとき、かゆみのトゲが少しだけ丸くなるのを感じる。
このかゆみの先にあるのは、今日の透析室の天井だ。
グリンピースの絶望と、飼育される幸福
今日のお弁当は、白身魚のフライとカレー。
一見、完璧な布陣に見えるけれど、そこに「グリンピース」という名の刺客が潜んでいるらしい。
なぜ、人はカレーやフライの傍らに、あんなに鮮やかで冷徹な緑を添えたがるのだろう。
口のなかで弾ける、あの独特の青臭さ。
それはどこか、僕が毎日向き合っている「治療」の味に似ている。
体にいいのは分かっている。
でも、できれば避けたい、小さな違和感。
昨日は、僕を飼育するためのプランを作ってもらった。
僕は1頭のパンダとして、そのプランのレールに乗って、今日も生かされていく。
自由を差し出す代わりに、僕は「明日」という継続を手に入れる。
それはとても残酷で、そして、どうしようもなく甘美な依存だ。
透析という名の、重たい愛。
化粧水を教えてくれた友。
グリンピースを添えてくれる、顔の見えない誰か。
僕は、そんな無数の「他者の痛みや手間」を、シャントという細い管を通して飲み込み続けている。
さあ、そろそろ準備をする時間だ。
最後に化粧水のボトルの蓋を閉める。
部屋の空気は少しだけ冷たくて、僕の赤いパーカーの毛羽立ちが、静かに揺れた。
お腹が鳴った。
ごはんも食べよう。
聞いてくれてありがとう。



