上出来でした。
(パンダ談)
あのね、聞いて。
血液検査結果が返ってきたよ。

選別される命の、生温かい手触り
最近、ネットの片隅で「透析患者を間引け」なんて言葉が、季節外れの羽虫みたいに湧いている。
ナフサが足りないから、自己責任のやつから死んでしまえ、という理屈らしい。
もし本当にそんな日が来たら、一体誰が「死の餞別」を配るんだろうね。
白い手袋をはめた誰かが、僕の2型糖尿病という履歴書を見て「君は不合格」と静かに宣告するんだろうか。
想像すると、なんだか笑えてくる。
僕の命は、誰かの正義という物差しで測れるほど、立派なものじゃないけれど。

そんな物騒な下界のニュースを横目に、僕の血液検査の結果は、今回も「100点満点」だった。
GAは1.9も下がり、HbA1c換算で5.5。
パンダの毛並みだって整うほどの優等生な数字だ。
でも、この数字に辿り着くまでの道のりは、決して美談なんかじゃない。
シチューの海で溺れていた、あの頃
かつての僕は、お皿の中にある「水分」に怯えていた。
シチューやカレーが食卓に並ぶたび、それが温かな夕食ではなく、僕の心臓を止めるための重り(増え)に見えたんだ。
乳製品はリンの塊、水分は命を削る毒。
そんな強迫観念に囚われていた僕は、家族に対してもトゲだらけだったと思う。
美味しそうに食べる彼らの隣で、勝手にイライラして、部屋の温度を数度下げてしまうような、嫌な空気。
「どうして君たちは、僕のこの恐怖が分からないんだ」
そう心の中で毒づきながら、僕は孤独に数値を追いかけていた。
でも、皮肉なことに、必死になればなるほど数値は裏切り、薬の量ばかりが増えていったんだ。
「普通」という名の、一番難しい攻略本
転機なんて、実はなかったのかもしれない。
ただ、ふと思ったんだ。
「日本人として、普通の量、普通に食べていれば大丈夫なんじゃないか?」って。
手量りで開式するようにして、チーズやピザも「許された量」なら愛せるようになった。
かつてあんなに怖かったピザを、今は「美味しいね」と笑って咀嚼できる。
不思議だよね。
今のほうが薬の量は減っているのに、結果は100点なんだから。
あの頃の僕に教えてあげたい。
完璧主義という名の呪いを解くのは、栄養学の知識じゃなくて、「まあ、これくらいなら」という諦めに似た許容だったのかもしれない、と。
血液は、静かに答えを知っている
金曜日はカレーそば、土曜日は焼肉、日曜日はピザ。
文字にすればワガママな王様の献立みたいだけど、僕の身体は、この「普通」をしっかり消化し、透析によって整えられている。
世間がどれだけ僕らの存在を否定しようとも、僕の血管の中を流れる赤い液体は、今、この瞬間も「生きる準備ができている」と数字で叫んでいるんだ。
さあ、君も僕と一緒に、この「危うい平穏」を面白がってみないかい?
僕たちはいつだって誰かの掌の上で踊らされていて、それでも最高に美味しいピザを食べてやるんだから。
月曜の朝、体重計の目盛りを睨みながら、僕はまた空腹のまま静かに一日をはじめるのだろう。
聞いてくれてありがとう。


