甘いところが広いんだよ。
(パンダ談)
あのね、聞いて。
飲食の話なんだけど。

歪な苺、平たい幸せの面積。
父から苺を貰った。
佐賀が誇るブランド、その名も「いちごさん」。
僕はパンダという名がつくパンダなので、赤いものや名前に「さん」が付くものには、どうにも抗えない親近感を抱いてしまう。

けれど父の手から渡されたそのパックは、どこか自信なさげに震えていた。
「形も悪いし、色も白いから、安かったんだよ」
父はそう言って、申し訳なさそうに視線を落とした。
まるでもっと完璧で、もっと宝石のように整ったものを息子に与えられないことが、自分自身の落ち度であるかのように。
僕は知っている。
世の中の「規格」から零れ落ちたものの中にこそ、本物の熱量が宿っていることを。
「お父さん、こういうのが一番甘いんだよ」
僕がそう言うと、父は「そうなんだよ」と短く返した。
その声には、少しだけ安堵の響きがまじっていたように感じた。
出先で受け取ったその「不揃いな愛」を抱えて、僕は家路を急いだ。
冬の終わりの冷たい空気の中でレジ袋から漏れ出す苺の匂いだけが、やけに生々しく春を主張していた。
幸せの面積は、計算式で決まる
帰宅して、改めて苺と対峙する。
確かに、シュッとしたモデルのような苺ではない。
先っぽが平たかったり、妙な方向に膨らんでいたり。

でも、植物学的な事実は残酷なほどに甘い。
苺は先端が最も甘い。
先っぽが平たいということは、甘い部分の面積がそれだけ広いということだ。
幸せの総量は、見た目の美しさではなく、接地面積で決まる。
一口かじると、じゅわりと濃厚な蜜が溢れた。
「あ、これ、正解だ」
独り言がこぼれる。
父にすぐ、メッセージを送った。
「めちゃくちゃおいしかったよ、ありがとう」
僕の生活は今、透析という大きな「規格」の中に組み込まれている。
週に数回、数時間、機械に血を預ける。
食事制限というフィルターを通さないと、僕は僕を維持できない。
世間から見れば、それは「形が悪い」生き方なのかもしれない。
けれど、制限があるからこそ、この一粒の苺の甘さが血管の隅々まで染み渡るのがわかる。
共犯者たちの、静かな夜
完璧な体で完璧な食事をしていた頃の僕なら、この苺の「平たさ」の価値に気づけなかっただろう。
父の「申し訳なさ」を、そのまま受け流していただろう。
今の僕は、欠落や歪みの中に隠されたボーナスステージを見つけるプロだ。
お父さん、心配しないで。
僕らが選んだこの不揃いな毎日は、誰よりも甘い先っぽを持っているんだ。
窓の外では、また静かな夜がはじまろうとしている。
今夜の僕は苺の香りがかすかに残る指先を眺めながら、パンダらしく丸くなって眠ることにする。
明日の朝また一粒、平たい幸せを食べるのが楽しみだ。
聞いてくれてありがとう。


