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緑の畑で泥棒ごっこ

なう
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元気がありますように。
(パンダ談)

あのね、聞いて。
今日も生きてるよ。

今朝も無事に、目が醒めた。
カーテンの隙間から差し込む光が、僕の毛並みをうっすらと照らす。
「ぐっすり寝た」という感覚はこの世界で最も安価で、なのに手に入れにくい贅沢品だ。

そろそろ、爪を切らなきゃいけない。
そう思いはじめてから、もう3日が経った。
伸びた爪は、僕がこの3日間をどうにかこうにか生き延びてしまった証左でもある。
けれど、今日こそはそれを切っておかなければと思うのであった。
なぜなら今日、僕はその指先を冷たい泥の中に突っ込む予定だからだ。

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1,600gの境界線と、朝の儀式

血圧 126/81mmHg。
体重増減はドライウェイト比でプラス1,600g。
優等生な数字に、少しだけ拍子抜けする。

透析患者としての僕は、常に数字という名の「神託」に従って生きている。
増えを抑えられた時の、あの「許された」ような感覚。
まるで厳しい試験に合格した子供のような、小さな全能感が胸の奥でぷくぷくと泡立つ。

今日は、仕事が立て込んでいる。
目の前のタスクを、一粒ずつ丁寧に飲み込んでいく作業。
けれどその忙しさの向こう側に、僕は一つの「密かな愉しみ」を置いている。

予定をすべて終え無事だったら、父の畑へ行くのだ。
そこに、僕を待っている「獲物」がいる。

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「勝手に持っていけ」という名の、無機質な抱擁

「食べきらんから、勝手にとって持っていっていい」
父からの伝言はいつだって不器用で、砂利のように乾いている。

今日は父も仕事でいない。
主(あるじ)のいない畑に、僕は一人で侵入する。

「いつでも来て、勝手にもっていけ」
その言葉は、僕にとっての「永久入国許可証」であり、同時に、親という存在への終わりのない甘えの証明書でもある。

本来なら僕が土を耕し、父にほうれん草を届けるべき年齢なのだ。
それなのに僕はいまだに「奪う側」のままで、白いベッドの上で血液を濾過されながら生きている。
父の労働の結晶を、不在を狙って掠め取る。
その行為に、僕は微かな、けれど確かな緊張を感じていた。

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静寂の略奪者、あるいは不器用な継承

誰もいない畑。
風の音と僕の呼吸音だけが、不自然なほど大きく響くはずだ。
それから僕は、赤いパーカーを泥で汚しながら、土に指を沈めるだろう。

「いけないことをしている」ような、背徳的な高揚感。
それは、病室の匂いからは最も遠い場所にある、生々しい「生」の感触だ。

父がいないからこそ、僕はその畑で父の「疲れ」や「時間」を直接触りに行く。
スーパーで並んでいる洗練された「商品」としての野菜にはない、土の重みと、拒絶しない優しさ。
僕はほうれん草を抜きながらきっと、自分の爪を切っておいてよかったと思い、その泥の冷たさを感じるのだ。

今後の食卓には、少しだけ土が混じるかもしれない、暴力的なまでに瑞々しい緑が並ぶ。
それは、僕と父の言葉にできない共犯関係の味がするはずだ。

さて、そろそろ仕事に行く準備をしよう。
指先が泥の色に染る前に、爪を切ろう。

これからこの手に爪切りを取る。
大切な畑に入らせてもらう前の礼儀でもある。

聞いてくれてありがとう。

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