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透明な重力と、助手席の僕

なう
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希望の水に希望はあるのか。
(パンダ談)

あのね、聞いて。
ちょっとした旅に出たよ。

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嘘をつけない重さの正体

空は、少しだけ機嫌が悪いらしい。
窓の外では、細かな雨がアスファルトを執拗に叩いている。
僕は赤いパーカーの袖を少し引き伸ばして、助手席に深く沈み込んでいた。

目的は「水」だ。
僕の体を流れるための、そして僕の明日を繋ぐための、特別な水。
巷では「体にいいらしい」なんてふわふわした言葉で語られることもあるけれど、僕にとってはもっと切実な、生きるための「希望」そのものだ。

タンクが満たされるのを待つ間、湿った時間が流れる。
家族で、大きなタンクに詰め込んだ水を、タイミングよく車へと運び込んでいく。
水というやつは、恐ろしいほどに誠実だ。
1リットルは1キログラム。
その数が増えれば増えるほど、容赦なく、正直に重くなっていく。

「よいしょ」
ドアが開くたびに、外の冷たい空気と、家族の少しだけ荒くなった呼吸が流れ込む。
積み込まれるたびに、車体がわずかに沈む。
その微かな振動が、僕の背中に「お前の命はこれだけ重いんだぞ」と告げているようで、僕は少しだけ居心地が悪くなる。

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助手席という名の、特等席の孤独

「今日のは、きっと一段とおいしいよ」
誰かがそう言って、笑う。
雨に濡れた家族の肩や、泥がついた靴の先を見て、僕は少し上がった息を整えた。

透析生活というのは、常に誰かの「重労働」の上に成り立っている。
僕が助手席に座っていられるのは、誰かが運転席に座り、誰かが雨の中でタンクを運んでくれるからだ。
感謝という言葉は、あまりに綺麗すぎて、時々トゲのように僕の心に刺さる。

僕たちは、みんなで水を汲み、みんなで積み込む。
そしてその水をみんなで分け合って飲んでいる。
重たいタンクが車内を埋め尽くしていく光景は僕にとっての救いであり、同時に逃げ場のない現実でもあった。
積んだらまた降ろさなきゃいけない。

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透析室のベッドで、雨の音を思い出す

後日、透析室の白い天井を見上げながら、僕はあの水を思い出す。
僕の腕に刺さった針の向こう側で、機械が忙しく働いている。
あの日、雨の中で運んだ「希望」が今まさに僕の血となり巡っているのだと思うと、少しだけ鼻の奥がツンとする。

僕の体は、もう自力ではきれいに掃除ができない。
だからこそ、外から取り入れる「水」の重みがそのまま僕の存在価値の重みのように感じられる。
リットル数に比例して増していくあの物理的な負荷は、家族が僕に分け与えてくれた「時間」そのものだった。

次はもう少しだけ、窓を拭くくらいの役には立とう。
そんな小さな決意を、赤いパーカーのポッケに忍ばせる。

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希望の味は、少しだけ雨の匂いがした

窓の外は相変わらず、止まない雨が降っている。
けれど僕の体の中には、あの日みんなで積み込んだ重たくて誠実な水が満ちている。

おいしい、と思う。
その美味しさの半分は、きっと水の成分なんかじゃなくて。
あの時車内に満ちていた「みんなの会話と、濡れた服の匂い」でできている。

僕たちはこれからも、きっと水を汲みに行く。
重い重いと言いながら、希望の水を車に積み込む。
その繰り返しが僕の「生」の正体なのだと、今は少しだけ諦めるように受け入れている。

さて、そろそろ喉が渇いてきた。
明日を生きるための、一番贅沢な一杯を飲もうと思う。

僕を支える重力は、今日も驚くほどあたたかくて残酷だ。

聞いてくれてありがとう。

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