才能の無駄遣いがおもしろかった。
(パンダ談)
かつては検索すると個人サイトや個人ブログがヒットしていた。
そんな中からおもしろい人を知るきっかけになったりしていた。
今は検索結果に出てくるのは大手サイトばかり。
「おもしろい人」はなかなか見つからない。
SNSでもそうなりつつある気がする。
「作られた熱狂」と、ハックされた日常
最近のSNSを見ていると、インフルエンサーや大手配信者が号令をかけ、ファンが一斉に特定のハッシュタグをポストする光景をよく目にします。
「アルゴリズム的にはこの時間がいい」
「このタグでトレンドを狙おう」
そんな風に戦略的にトレンドが「ハック」されていく様子を見ていると、僕は正直「引くわぁ……」という冷めた気持ちになってしまうんです。
まるで、再生数を不正に操作して人気を捏造しているアーティストを見ているような、そんな不自然さを感じてしまうから。
そこに「数字」はあっても、本当に心が動いた結果の「熱」はあるのでしょうか。
コンサルと攻略法が、僕たちの「宝探し」を奪った
この違和感は、SNSコンサルや「バズりの法則」を振りかざす人たちに対しても同じです。
彼らが「攻略法」を広めた結果、検索結果もタイムラインも、大手企業の広告や、誰が書いても同じような「正解の文章」ばかりが並ぶようになりました。
それは「頭のいい」方法なんだと思います。
正解だろうし、効率的なのでしょう。
かつてのインターネットは、もっと不器用で、もっと自由だった気がします。
検索すれば、見ず知らずの誰かが書いた熱量の高い「個人サイト」や「ブログ」にたどり着き、自分だけの宝物を見つけたようなワクワク感があった。
けれど今は、目先の数字を稼ぐ攻略者たちによって攻略法が開発され、それによってまたアルゴリズムが書き換えられ、結果として業界全体がつまらなく、衰退に向かっているように見えます。
「ごはんなう」と呟くだけで楽しかったあの頃。
そこには1円のお金も発生しなかったかもしれないけれど、今よりもずっと、本物の「幸せ」があった気がするんです。
「正解」という最短距離しか歩けない不自由さ
今は、情報を受け取る側も、すぐに「正解」を欲しがるようになっていますよね。
コスパだ、タイパだと騒がれ、役に立たないものは「読むだけ時間の無駄」だと切り捨てられてしまう。
でも、かつてのネットには「何の役にも立たないけれど、なんだこれ、最高に面白いな!」という、無駄な才能の使い道がたくさん転がっていました。
誰の得にもならないことに全力投球する。
そんな「無駄」を楽しむ時間こそが、僕たちの感性を耕してくれていたような気がします。
正解のない「足跡」を辿る楽しさを、僕たちは効率と引き換えに手放してしまったのかもしれません。
ポストすら忘れる、「楽しい」瞬間
僕が信じているトレンドは、もっと勝手に溢れ出してしまうものです。
たとえば、「ちいかわ」の最新話が更新されたとき。
あるいは、B’zのライブが終わって会場の電気がパッとついた瞬間。
そこには戦略なんて一行もありません。
ただ「うわぁ!」という感情が抑えきれなくて、気づいたら指が動いていた、というか。
本当に心から楽しいときって、ポストすることすら忘れて、その瞬間に没入していたりもしますよね。
そんな「言葉が心に追いつかない」瞬間の熱量こそが、一番純度の高い「本物」なんだという気もします。
あくまでも僕にとっては、ですが。
効率を求め、正解をなぞれば、数字はついてくるのかもしれません。
でも、僕がこの「パンダダン」でやりたいことは、そんな攻略法とは真逆のところにもあります。
なぜ、効率も悪い「不器用な言葉」を、わざわざここに書き残すのか。
その理由は、僕という人間がこの世界に刻みたい「あるもの」にありました。
ここからは、僕がこの不自由な身体で、それでも「本物の言葉」を紡ぎ続けようとする、少し個人的な覚悟のお話です。



コメント