母が「おいしい」と零した言葉を、僕は小さな苗を育てるように大切に持ち歩いている。
あのドーナツはどこで買ったんだっけ。
心当たりの足跡をたどる。
探しているのは、冷凍のドーナツ。
ポン・デ・リングの遠い親戚のようなキャラメル味の、解凍して食べるタイプ。
ネットの情報によればローソンにあるらしいが、空振り。
セブンイレブンにも寄ってみたが、そこにも影はなかった。
上が空いたタイプの箱のような冷凍庫に入っていた。
鮮明なのはその記憶ぐらいだ。
透析を終えた後の体は、いつも少しだけ世界から浮いている。
めまい、と呼ぶにはまだ早い。
けれど「めまいの入り口」がすぐそこに見えていて、油断すると向こう側に引きずり込まれそうなあの頼りない浮遊感。
そんな足取りで、僕は母の笑顔という報酬だけを頼りにコンビニの自動ドアをくぐるのだ。
そこでは「いらっしゃいませ」の声は飛んでこず。
おしゃべりに興じる大きな声と、黙々と機械を叩くおじいちゃん店員の孤独が同居した空間が広がっていた。
「ありがとう」を捨てた場所で
僕はセブンイレブンが好きだ。
けれど、最近はその看板を見るだけで胃の奥に冷たい石が置かれたような気分になる店がある。
きっかけは、あるレジでの出来事だった。
いつものように「ありがとう」と言って店を出ようとしたとき、ふと気づいたのだ。
僕の言葉だけが、レジ袋の端切れのように床に落ちていることに。
この店員さん、僕とは目も合わせずお礼も言わない。
そういえばこの前もそうだったかも。
気になれば疑惑は勝手に成長していく。
ある日、決定的なことが起こった。
その店員は僕には見向きもしないくせに、店を出ていく女学生にだけ弾んだ声で「ありがとうございましたー!」と投げかけた。
あぁ、この人は「ありがとう」の言葉は持っていたんだ。
僕にだけ、あえて、砂漠を彷徨う時の大切な水筒の水のように一滴も分けてくれなかったわけだ。
その事実が、透析帰りの無防備な心に、やすりで削られたような痛みを残した。
商品を手渡しすることすら拒むかのように、カウンターのすみに置かれた冷たいおにぎり。
僕はこの人に何かしたのだろうか。
僕とこの人の歴史を思い返してみる。
その距離はただのカウンター越しであるはずなのに、今の僕にはあまりに遠く、そして絶望的に冷たかった。
まるでカウンターの先が冷凍庫のように。
血液は洗えても、悪意は濾過できない
嫌だと思えば、あらゆることが醜く見えてくる。
彼女の濃すぎるアイメイクまでも気になってくる。
「必死に若作りかよ、それくらいありがとうって言ってくれれば平和な世界なのにね」。
普段の僕なら「個人の自由だね」と笑い飛ばせるはずのものが、きれいな人だと思うかもしれないメイクが、自分を拒絶した記号として、毒々しく脳裏にべっとりと張り付く。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いように、あらゆることが憎しみの種となり。
そしてむくむくと憎しみの芽が出て成長していく。
なんてちっぽけで、浅ましいんだろう。
週に数回、機械に繋がれて血を綺麗に洗っているはずなのに。
僕の心の中にはドロドロとした汚泥が溜まっていく。
相手を許せない自分。
顔も見たくないのに、そこが「一番寄りやすい場所」だという利便性に屈してしまう自分の弱さ。
このセブンイレブンは、僕にとっての利便性と自尊心が醜く殴り合うリングになってしまったようだ。
思いっきり殴られたように、心の内出血で嫌な感情だけがぷくーっとふくらんでいく。
共犯者たちの、静かな夕暮れ
おそらく、あっちは僕のことが嫌いなのだろう。
挨拶もしたくない、顔も見たくない。
そんな「嫌い」の矢印が、狭く白いカウンター越しに交差する。
お互いに心のシャッターを下ろし、無言で金銭と商品を交換する。
これは、僕と彼女の、声なき共犯関係なのか。
「もう二度と来るか」とハンドルを握るたびに思うのに、透析後の体力のなさから僕の車は磁石に吸い寄せられるように寄りやすいあの駐車場へ入るのだろう。
めまいの入り口を見つめながら、僕はただ母のドーナツが棚に並ぶ奇跡を願っているだけなのに。
今日もまた、冷凍庫をのぞき込む。
そこには、霜の降りた冷たい沈黙だけがぎっしりと詰まっていた。
美しく商品が整列した棚の前では、おじいちゃん店員が静かにタブレットを叩いている。
店の片隅ではおじさんがATMをピコピコと操作していた。



コメント