たまには別のテイストでね。
(パンダ談)
あのね、聞いて。
味噌マヨネーズを生かしたよ。

地獄の釜で、春が鮮やかに叫びをあげる
僕の収穫するタラの芽は、これまでずっと油の衣を纏って生きてきた。
高温の油の中でパチパチと音を立て、サクサクとした虚飾の鎧でその春の味を包み込む。
それが彼らにとっての、唯一の「正装」だと思っていたんだ。
けれど、今日の僕はひどく怠惰だった。
ほんの数個のタラの芽のために重たい油のボトルを傾け、使用後のベトつく鍋と格闘する気力がどこを探しても見当たらない。
透析でいくらかの水分と老廃物を抜かれた身体は、余計な「後始末」という概念を激しく拒絶していた。

だから、僕は彼らを裸のまま沸騰した熱湯の地獄へと放り込んだ。
その瞬間、タラの芽は目を見張るような鮮やかな緑に変貌した。
それは、星が死に際に見せる最後の輝きのような残酷なまでの美しさ。
眼鏡のレンズが真っ白な霧に包まれ、視界が奪われる。
その白い闇の中で春の泥のような、青臭くも力強い香りが鼻腔を刺した。
台所には、僕以外に誰もいない。
お湯がコトコトと鳴る音だけが、僕の孤独を祝福しているようだった。
この「無音の調理」の先に待っていたのは、冷蔵庫の住人との意外な再会だった。
冷蔵庫の隅で、暇を潰していたアイツ
タラの芽を救い出した後、僕は冷蔵庫の奥底を覗いた。
そこには自分が出番を失ったことを悟り、すっかり暇を持て余して寝そべっていたセロリがいた。
セロリという植物は、どうしてあんなに「筋」が通っているんだろう。
噛むたびにパキッと音を立て、自分の存在を主張してくる。
それは、血管を流れる血液が透析機という外部臓器を通って戻ってくる、あの妙に機械的なリズムにも似ている。
「食べたい気持ちは、イナメナイよね」

僕は独り言をこぼしながら、湯通ししたタラの芽と生のままのセロリを皿に並べた。
調味料は、味噌マヨネーズ。
洗練からはほど遠い、けれどこれ以上ないほど「生(なま)」の暴力に近いソースだ。
箸を伸ばした瞬間、僕の舌が感じたのは「おいしい」以上の、ある確信だった。
春の味と筋、それが僕の「今の味」
1口噛めば、タラの芽のストレートな味が脳を揺さぶる。
油で甘やかされていないその味は、僕の繊細になった味覚に「おい、まだ生きてるか?」と問いかけてくるようだ。
続いてセロリの無機質な食感が、顎を通して頭蓋骨に響く。
おいしかった。
面倒くさいという理由で選んだ「手抜き」が、結果として、今の僕に最も必要な「刺激」を連れてきた。
丁寧な暮らしなんて、僕には似合わないのかもしれない。
ただこうして1人で、無残に茹でられた春を誰に遠慮することなく貪る。
それは、ワガママ王国の住人としてとても正しい夕暮れのように思えたんだ。
読者の君も、たまには自分を甘やかすための「手抜き」という名の贅沢をしてみるといい。
僕たちは誰かのために生きる前に、自分の「面倒くさい」を愛でる権利があるのだから。
今夜も、窓の外では静かに夜が茹で上がっていく。
明日の透析の予約を、セロリの空袋の上にそっと置いた。
聞いてくれてありがとう。


