これがタラの芽の味か。
(パンダ談)
あのね、聞いて。
お料理の話なんだけど。

スーパーの隅っこで、その子は肩を寄せ合うようにして震えていた。
「おつとめ品」という、残酷で敬意に満ちた名前を背負わされて。
僕はそれを見ると、反射的に「おつとめ、ご苦労様です!」と心の中で敬礼してしまうんだ。
誰にも選ばれず、鮮度のピークを過ぎ、それでもなお「食べられること」を待っているその姿。
なんだか、週に3回、機械に繋がれて血液を掃除される「おつとめ」を果たす僕の体と、どこか似ている気がして。
庭に自生するタラの芽を適当に毟って食べていた頃とは違う、整えられた「売り物」のタラの芽。
根元から潔くぶった切られたその断面は、どこか無機質で、それでいてしっかりとしたトゲを持っていた。
溶けゆく輪郭、冷たい水、僕の指先
台所に立ち、蛇口を捻る。
水は、驚くほど冷たかった。
タラの芽を洗っていると、少しずつ悲劇が起きた。
くたびれていた先端が、冷たい水に耐えきれず、まるで溶けるようにトロンと流れていってしまったんだ。
春の生気が、排水口へと吸い込まれていく。
それを見つめながら、僕は自分の穿刺痕の残る腕を思う。
メンテナンスを繰り返しながら、少しずつ何かが削られ、流れていく日常。
でも、全部が溶けてなくなるわけじゃない。
残った芯の部分は、まだ驚くほど頑固で、チクッとしたトゲで僕の指を刺激する。

掃除を終え、衣の準備にかかる。
今回は、素材の「生」を味わいたかったから、シャバシャバの薄い衣にした。
不純物を削ぎ落とした、僕の血液みたいに透き通った衣だ。
ほろ苦い救済と、パンダの野性
油の中で、タラの芽がパチパチと小さく悲鳴を上げる。
揚げてしまえば、溶けかけた輪郭も嘘のようにシャキッとした。
おつとめ品という「過去」を脱ぎ捨てて、黄金色の鎧を纏った春の使者。

口に運ぶと、うちの庭のものよりもずっと野性味にあふれた、鋭い苦味が広がった。
「ああ、生きてるな」と思う。
くたびれていても、溶けかけていても、中身はこんなに凶暴なほどに「春」だったんだ。
その苦味は、僕の乾いた喉を通り、血液に混ざり、生きる実感を無理やり心臓へと送り込んでくる。

ごちそうさま。
溶けて流れた部分のことは、もう忘れた。
来年の春も、僕はこの毒を食らいたい
薄氷の上を歩くような毎日だけれど、この苦味を知ってしまった以上、簡単に降りるわけにはいかない。
「また次の春も、こうして春の味を楽しみたいな」 そんな風に思えたのは、僕がまだ、この不自由な体と仲良くやっていく気がある証拠だろう。

次はもう少し、上手に揚げてあげよう。
僕たちは、溶けゆく体を引きずりながら、また次の「おつとめ」に向かうのだ。
…さて、明日の透析のために、そろそろ寝るとしよう。
枕元には、タラの芽のトゲが刺さったような、小さな痛みが心地よく残っている。
聞いてくれてありがとう。


