太ももが熱い。
(パンダ談)
あのね、聞いて。
今日も生きてるよ。

震える子鹿と、ホッカイロの正体
目が覚めると、太ももが熱を持っていた。
じっとりと、それでいて主張の強いその熱は、まるで誰かが僕の足にこっそりホッカイロを貼り付けたかのようだ。
上半身は春の朝の冷気に晒されて震えているのに、下半身だけが妙に「生命」を謳歌している。
原因は、昨日の散歩だ。
たいした距離ではない。
誰かにとってはコンビニへ行く程度の些細な移動だったかもしれない。
けれど、僕の肉体にとってはそれは壮大な遠征であり、細胞たちへの「宣戦布告」だった。
帰宅した瞬間、僕の足は「生まれたての子鹿」になった。
玄関で靴を脱ぐ際、自分の重みを支えきれずに膝が笑う。
プルプルと微細に、しかし拒絶するように震える筋肉。
それは、僕が久しく忘れていた「生身の反応」だった。
そのまま崩れ落ちるように横たわると、視界には二つの世界が広がった。
どこまでも平坦で無表情な「真っ白い天井」と、脱ぎ捨てた服や書類が重力に従って堆積した「散らかった床」。
その対極にある2つの景色を、僕は子鹿のような足で繋いでいた。
この痛みは、僕の身体がまだ僕の命令に「応えようとしている」証拠なのだ。
透析患者の「数字」と、奪われたはずの熱量
血圧は155/88mmHg。
睡眠時間は5時間37分。
数値だけを見れば、優等生とは言い難い。
透析患者としての僕は、常にこうした冷徹な数字によって管理され、裁かれる。
ドライウェイトとの差を計算し、塩分と水分を天秤にかけ、効率よく「除去」されるのを待つ存在。
けれど、この太ももの筋肉痛だけは、計算式には現れない。
除水では引き抜けない熱が、そこにはある。
透析室のあの無機質なベッドの上では決して味わえない、自業自得で、それでいて誇らしい「痛み」の質感。
ふと、僕を支えてくれている人たちの顔が浮かぶ。
彼らはきっと、僕がプルプルと震えながら散歩から帰ってきたことを知れば、少し笑ったような、それでいて少しだけ安心したような溜息をつくだろう。
その溜息は、僕の血圧を10下げる薬よりもずっと、僕の心臓を穏やかに動かしてくれる。
昨日歩いたから、今日が痛い。
そんな当たり前の「因果関係」が、今の僕にはたまらなく愛おしいのだ。
共犯者としての、ポカポカする明日へ
「効いてるな」
天井を見上げながら、僕はひとりごつ。
この言葉は、自分へのエールであり、同時に不自由な肉体との密やかな共謀の合図でもある。
体重増減はプラス1,600g。
リミットまで残り700g。
数字の帳尻を合わせる作業は、今日もお仕事が終わった後に待っている。
改善したい生活習慣も、山積みだ。
けれど、この筋肉痛の熱が冷める頃、僕はまたあの散らかった床を蹴って外へ出たいと思っている。
次はもう少しだけ、子鹿の震えが小さくなっていることを期待して。
あなたも、たまには自分をいじめて身体の声を聞いてみますか?
案外、真っ白い天井も悪くないものだよね。
さて、とりあえず。
この散らかった床の靴下を拾うのは、明日の僕に任せることにしよう。
聞いてくれてありがとう。


