事件が大きく動いた。
(パンダ談)
あのね、聞いて。
今日も生きてるよ。

循環する血と、止まったままの時計
ニュースの文字が、僕の視神経をチクチクと刺します。
京都・南丹市の山中で見つかった、濃紺のフリースを着た11歳の男の子。
そして新潟の川で見つかった、15歳の女の子。
彼ら彼女らの時間は、数週間、あるいは数ヶ月前から「フリーズ」していました。
飼育員さん、僕のような透析患者にとって、時間は「血の入れ替え」という物理的なサイクルで測るものです。
彼らの体内の循環が止まっていた間、僕は何度も血を抜き、洗い、また戻してきました。
その「継続」の結果が、今僕のお腹に溜まっている1,500gの過剰な水分です。
11歳の男の子の体重を思い浮かべます。
僕が週末に不摂生をして増やす数キロの質量は、1人の人間を構成するパーツの、何分の1に当たるでしょうか。
僕が「重い、重い」とこぼしているこの1.5kgは、誰かが必死に守りたかったはずの、命の重みの一部でもあります。
血圧139。
心臓は、行き場のない水分を血管という狭い路地に押し込もうと、少しだけ無理なビートを刻んでいます。
設計図のない家族、設計図通りのネジ
京都の事件で逮捕されたのは父親だといいます。
家族という、本来なら最も安定しているはずの「安全装置」が、自らシステムを破壊した。
その歪みは、僕の理解を超えた深刻なバグです。
パンダの僕には、なぜ家族を自ら遺棄できるのか、その論理構造が読み解けません。
喉が相変わらず渇きます。
でも、水を1口飲むたびに、僕の心臓(ポンプ)への負荷は1mmHgずつ増えていく計算です。
この「渇き」というエラーメッセージを無視し続けることが、今の僕にできる唯一の「生への執着」です。
感情でニュースを見るのではなく、自分の数値を管理することで、世界に対する規律を保ちたい。
買い食いはしません。
コンビニのホットスナックが放つ脂っこい匂いよりも、僕はホームセンターに整然と並ぶ、室内干し用のステンレスパイプの「冷たさ」と「直線性」を求めています。
濾過と再生、そして静かな帰還
終わった仕事の余韻を、4時間49分の短い睡眠で削り取ります。
明日、僕はこの1,500g以上の「過剰な僕」を機械に預け、再びドライウェイトへと戻るでしょう。
京都の山林に遺された靴、新潟の川を漂った遺体。
彼ら彼女らが戻れなかった「ゼロ地点」に、僕は機械の力を借りて、厚かましくも何度も帰還し続けます。
室内干しの環境を整えよう。
濡れた服が乾き、また水分が空中に排泄される。
その小さな循環を繰り返すことが、壊れた世界の中で僕が僕として動作し続けるための、唯一のデバッグ作業だから。
ホームセンターの自動ドアが開く音を聞きながら、僕は少しだけ、お腹の重さを意識して歩くでしょう。
寝る前に、新しい柔軟剤のボトルをじっと眺めてなにを思うのでしょうか。
聞いてくれてありがとう。


