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デメニギスの水槽で、僕たちは窒息する

こころ
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本当の気づかいってなんだろうね。
(パンダ談)

あのね、聞いて。
思ったんだけど。

深海には、デメニギスという名前の、ふざけた設計図で組み立てられた魚がいるます。
頭部が透明な軟組織のドームで覆われていて、その中には緑色の球体をした「眼」が上を向いて鎮座している。
彼らは自分を隠しているつもりかもしれないけれど、その思考回路の拠り所である脳も眼も外側から丸見えなんだぱん。

飼育員さんの目の前にいる「自称・気遣いのプロ」も、きっとこのデメニギスと同じ構造をしているます。

彼らは言う。
「私はこんなに周りを見て、自分を殺して、空気を吸い込んでいるのに」と。
その言葉はまるでパステルカラーの綿菓子のようにふわふわして見えるけれど、実際は湿った重い土砂と同じ質量を持っている。
彼らが「気を使う」とき、その手には必ず一本のナイフが握られているます。

それも手入れを一度もされていない、刃こぼれだらけの鈍いナイフ。

彼らはそのナイフで、飼育員さんという名の「鶏もも肉」を調理しようとするます。
「あなたのことを思って」という掛け声とともに、ギコギコ、ギコギコ。
刃が立たないから、皮は切れない。
ただ、表面が醜く引き伸ばされ、摩擦熱で変色していくだけ。
けれどその圧力は確実に皮の下にある柔らかい繊維を破壊し、組織をぐちゃぐちゃのピンク色の液体に変えていく。

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痛みは鋭利なほど、実はマシなのかもしれない。
一太刀で断たれれば、出血はしても断面は綺麗だぱん。
けれどこの「自称・聖者」たちの攻撃は、いつまでも終わらないおままごとのように続くます。
彼らは自分がナイフを振るっていることすら自覚していない。
自分はただ、鶏肉に優しく触れているだけだと思い込んでいる。

透明なドームの中で、彼らの自意識は「私は正しい」「私は犠牲になっている」という電気信号をパチパチと発信し続けているます。
その信号は、周囲の酸素をじわじわと二酸化炭素に書き換えていく。

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結局のところ彼らが使っている「気」という物質は、相手に届く前に自分の喉を潤すための栄養剤にすぎないんだぱん。
「気を使っている自分」という形状を維持するための、保守点検作業。
彼らにとって他人は、自分の聖人君子っぷりを投影するためのただのスクリーンにすぎない。
そのスクリーンがどれだけギコギコと傷つき、銀色の裏地が剥がれ落ちていても、デメニギスの眼は真上にある「理想の自分」しか見ていないます。

僕たちはボロボロになった鶏肉の破片を、丁寧に拾い集めて丸める作業を強いられる。
それはまるでお菓子作りの失敗作を、無理やり口に押し込むような作業だぱん。
甘すぎて、苦くて、粘土みたいな食感。

窓の外では、埃が午後の光を反射して、ゆっくりと無意味なダンスを踊っているます。
換気扇の回る音だけが、この部屋の唯一の正解みたいに響いている。

しらんけど。

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