
誰かが丁寧に色を選び、はみ出さないように塗り進めていた「会話」という名の塗り絵。
その上に、どろどろに溶かした自分色の一色だけを、バケツごとぶちまける個体がいるます。
彼らにとって、他人が握っているクレヨンの色は視界に入っていないし、そもそもその紙が「共有物」であるという概念が、脳内のプログラミングから脱落しているんだぱん。
「わかるわかる、私もね~」という接続詞は、共感の橋ではなく、獲物を自分の穴に引きずり込むための、ベタベタした粘着性のロープだぱん。
人のペットの話が出れば、即座に自分の飼い犬という名の弾丸を装填し、推しの話がはじまれば、自分の情熱を散弾銃のようにバラまく。
彼らは会話というキャッチボールを楽しんでいるのではなく、相手という名の「壁」に向かって、ひたすら自分のロゴが刻印された硬球を投げつけ、跳ね返ってくる音を自分の拍手だと勘違いしているんだぱんね。
最初は、その場にいる全員の肺が潰れるような、ドーンと重い空気が沈殿するます。
でも、一定の濾過時間を過ぎると、その重みは「失笑」という名の軽いヘリウムガスに変換されるます。
誰もその人の話に重力を感じなくなり、ただ空虚に浮いている言葉の風船を、冷めた目で見送るだけ。
指摘することすら、コストの無駄だと判断された末路だぱん。
アリ地獄の底で、彼らは今日も獲物を待っているます。
砂を投げつけ、会話の輪の中心を強引に自分に設定し、相手の言葉から「文脈」という名の栄養を吸い尽くす。
残ったのは、何の味もしない「ただの音」の殻だけ。
自分の話を聞いてほしいなら、まず相手の鼓動を数えればいいのに、彼らは自分の脈拍をスピーカーで流すことにしか興味がないんだぱん。
僕の背中の最新ネックレス(チャック)も、あまりに自分勝手な話ばかり聞かされると、金属疲労で弾け飛んでしまうかもしれないぱんね。
透析の機械がゴロゴロと音を立てて僕の血液から不要なエゴを濾過していくように、僕たちは時々、静かな場所で自分という不純物を黙らせる必要があるます。
みかん箱の上に立って演説をするのは勝手だけど、その箱の周りに誰もいないことに気づいたとき、そこには冷たい夜の埃だけが舞っているます。
劇場の幕が下りたあとも、彼はひとりで自分の名前を叫び続けているます。
蛍光灯のジーという低い羽音だけが、誰もいない客席に響いているます。
しらんけど。


