血が止まらない。
(パンダ談)
あのね、聞いて。
今日も生きてるよ。

痛みのない警告灯
お風呂上がり、湿った空気の中で爪を切る。
それは本来、身だしなみという名の、なんてことない「日常のトリミング」のはずだった。
少しだけ爪が曲がっている気がして、僕は思いきって爪切りを握り込んだ。
パチン、という乾いた音がしなかった。
その瞬間、指先の肉が少しだけ削げた。
普通なら、ここで「痛っ!」という電気のような刺激が脳を走り、僕は反射的に指を引っ込めるはずだ。
けれど、僕の足先は、とっくに神経障害という名の「沈黙」に支配されている。
痛みという名の警報機は、もうずっと前に電池が切れたまま放置されているんだ。
指先をじっと見つめる。
一呼吸置いて、そこから血があふれ出した。
それは「流れる」というより、蛇口が壊れた場所から湧き出すような、得体の知れない勢いを持っていた。
痛みがないせいで、その赤い液体は僕の血ではなく、僕の身体に寄生した「別の生き物」が這い出してきたように見えて、ひどく不気味だった。
脳裏をよぎる、あの人の「欠けた足」
真っ赤に染まっていくティッシュを眺めながら、僕の脳裏には1人の顔が浮かんでいた。
かつて知り合いだった、ある透析患者の顔だ。
彼は、僕が今見つめているような「小さな傷」をきっかけに、足を切り取った。
膝から下がなくなった。
糖尿病患者にとって、足の傷はただの怪我じゃない。
それは「身体が腐り落ちるカウントダウン」の開始合図となることもある。
痛みがないからこそ、気づいた時にはもう手遅れになっていた。
あの知人のどこか諦めたような、それでいて深い絶望を湛えた瞳が、僕の真っ赤な指先と重なる。
「一線を越えてしまったら、もう戻れない」 冷たい汗が背中を伝う。
ティッシュを押さえる手に力を込める。
どうか止まってくれ。
僕をまだ、この「五体満足な日常」の方へ踏みとどまらせてくれ。
チキン南蛮と、生存の確認
なんとか血は止まった。
けれど、安堵はない。
「再出血しないでほしい」「感染だけはさせちゃいけない」。
そんな、祈りにも似た強迫観念が、僕の思考を支配する。
1歩歩くごとに、指先の傷が地面に触れる感触を(物理的な痛みではなく、想像上の恐怖として)確かめてしまう。
今朝の血圧は125/83mmHg。
体温は36.9℃。
数字は「君はまだ大丈夫だ」と無機質に告げている。
今日は今月初めての透析だ。
病院の受付でマイナ保険証を読み込ませる時、僕はいつも少しだけワクワクする。
あの機械に自分を承認させる瞬間、僕は社会の一部であり、まだ「治療可能な人間」として存在していることを確認できるからだ。
今日のお弁当は、施設が自ら「大人気」と謳うチキン南蛮だ。
足の指を失うかもしれない恐怖に怯えながら、一方でタルタルソースの味を期待している自分がいる。
この、どうしようもない「生への卑しさ」こそが、僕をこの世界に繋ぎ止めている唯一の重りなのかもしれない。
とりあえず、今はまだ、僕の足は繋がっている。
絆創膏の下で静まり返った傷口を、僕はときどき、壊れ物を扱うようにそっと覗き込んでいる。
聞いてくれてありがとう。


