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父の善意と、指先に残るネギの呪い

なう
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食べられるけど食べなくてもいい。
(パンダ談)

あのね、聞いて。
お料理の話なんだけど。

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父が運んできた、緑色の「義務」

春は、土の匂いと共にやってくる。
僕の父が持ってきてくれたのは、真っ白で美しい新玉ねぎだった。
「葉っぱまで食べられるよ」
その言葉は、僕にとって福音ではなく、どちらかといえば「宿題」に近い響きを持っていた。

なにを隠そう(隠すほどのことでもないけれど)、僕はネギがあまり得意ではない。
あの独特の鼻の奥をツンと突く傲慢な主張が、どうにも肌に合わないのだ。
けれど、せっかくの好意を最初からゴミ箱に放るのは、パンダの皮を被った僕でも「失礼」という概念を知っているからやめておいた。

刻む。
ひたすらに、無心で。

玉の部分はいい。
問題は、その先に伸びる青々とした「葉」だ。
まな板の上でバラバラにされた緑の軍勢は、僕の指先に容赦なくその存在を刻み込んできた。
石鹸で洗っても落ちない、執拗なネギの芳香。
それは、父の優しさが僕にかけた「呪い」のようでもあった。

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脳内ねぎま作戦と、時間差の暴力

フライパンを熱し、油を引く。
火の通りにくい白い部分から、そして柔らかそうな先っぽへと。
僕はコンロの前で、緻密な時間差攻撃を仕掛ける。
ジューッという音が、僕の苦手意識をかき消すためのBGMだ。

ここで僕は、一つの生存戦略を思いつく。
「これは、焼き鳥のねぎまだ」
そう自分に言い聞かせた。

僕はねぎまが好きだ。
あの香ばしい香りと炭火の記憶を召喚すれば、この緑色の物体も愛すべき存在に変換できるはずだ。
香りは悪くない。
キッチンには、春を焦がしたような、どこか懐かしい匂いが充満していく。

でも、現実は残酷だ。
できあがったそれは、紛れもなく「ただの炒めたネギ」だった。

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結論、愛は必ずしも美味ではない

実食。
…うん、おいしい。
クセも少ない。

新玉ねぎ特有の甘みが、僕の舌を優しく撫でる。
けれど、脳内にこびりついた「ネギは苦手」という先入観という名の独裁者は、決して僕を解放してはくれなかった。

思ったよりおいしかった。
けど、あえて食べなくてもいいかな。

それが、僕が出した正直な答えだ。
お父さん、ごめんね。
愛は全部飲み込んだけど、僕の好みまでは変えられなかったみたいだ。

この「無理して食べる」という感覚は、どこか透析生活にも似ている。
生きていくために、体の中に「他者」を無理やり受け入れ、循環させる。

それは感謝すべきことなのだけれど、同時にどこか異物を拒絶したい自分も同居している。
歪な共犯関係。

僕の指先には、まだ微かにネギの臭いが残っている。

ちなみに、大根とキャベツもまだ控えている。
どっちも大好きだ。

僕の冷蔵庫は今、父の善意でパンク寸前だ。
明日は、この臭いが消えているといいな。

空からはへんてこな月が僕を睨んでいた。

聞いてくれてありがとう。

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