収穫してきたよ。
(パンダ談)
あのね、聞いて。
やっとほうれん草をいただいてきたよ。

透析という「空っぽ」のあとに、重力が牙を剥く
透析室のドアを出るとき、僕の身体はいつも、少しだけ「他人事」みたいにふわふわと軽い。
機械が僕の血液をぐるぐる回し、余計な水分と毒素を根こそぎ奪っていったあとの、あの独特の虚無感。
「さあ、自由だよ」と放り出された世界は、案外、僕に優しくない。

その足で、お父さんの畑へ向かった。
そこには、僕が機械で必死に「抜いた」ものたちが、これでもかとばかりにパンパンに詰まった生命体が転がっている。
畑に着くなり、試練は訪れた。
収穫したばかりの野菜を洗う作業。
これが、透析後のパンダにはなかなかの重労働なんだ。
蛇口の位置が低い。
当然、中腰になる。
その瞬間、腰のあたりに「これ以上曲げたら、二度と戻れないよ」という不穏な警告灯が灯った。
もし今、ここに座り込んでしまったら、僕は一生この大根と一緒に土に還る道を選ぶことになるだろう。
だから僕は、震える足で中腰を維持した。
プルプルと震える僕の赤いパーカー。
それは、野生を忘れたパンダが、たった一つの新玉ねぎのために見せる、最後のプライドだった。
父の背中と、泥だらけのミッション
視線の先では、お父さんが黙々と土をいじっている。
「大変か?」とも「代わろうか?」とも言わない。
ただ淡々と、ネギを抜き、大根を掘り起こし、僕の足元に積み上げていく。
手分けして、作業を終わらせる。
そこには、親子というよりは、戦場を共にする兵士のような、奇妙にドライで、それでいて温かい空気が流れていた。
お父さんの節くれ立った手が、次々に土の中から「命」を引きずり出してくる。
それは、今の僕には到底持ち合わせ得ない、圧倒的な「生の質量」だった。

ネギ、大根、玉ねぎ、じゃがいも、ほうれん草。
ついさっきまで地球の一部だったものたちが、僕の目の前で、泥を落とされて白く輝き始める。
その輝きは、病院の白い壁や、機械の清潔なプラスチックとは真逆にある、生々しくて、少しだけ残酷な美しさだ。
「抜かれる僕」と「満たされる野菜」の交差
新じゃが。
新玉ねぎ。
なんてワクワクする響きだろう。
この子たちは、あんなに狭くて暗い土の中で、何を思ってこれほどまでに丸々と太ったんだろうか。
透析を受けていると、どうしても「制限」や「排出」のことばかり考えてしまう。
塩分を控えなきゃ。
水を飲みすぎてはいけない。
僕の生活は、いつの間にか「引くこと」が正義になっていた。
でも、目の前の野菜たちは、そんな僕を嘲笑うかのように瑞々しい。
このネギを刻んで、この玉ねぎをスライスして。
どうやって食べてやろうか、どうやって僕の血肉にしてやろうか。
そう考えているときだけは、僕は「患者」ではなく、ただの「お腹を空かせたパンダ」に戻れるんだ。
機械に血液を洗われる時間は、僕から「自分」を奪っていくけれど。
泥だらけの野菜を洗うこの時間は、僕に「明日への執着」を思い出させてくれる。
美味しく食べる、という共犯関係
さあ、この獲物たちを抱えて帰ろう。
袋はずっしりと重い。
中腰に耐えた代償として、膝はもう笑い転げているけれど、気分は悪くない。
お父さんが育て、僕が命懸け(中腰的な意味で)で洗った野菜たち。
これをおいしく食べることが、僕とお父さんの間の、誰にも言えない秘密の契約だ。
今夜は、土の匂いを少しだけ残したまま、キッチンで盛大な「足し算」をはじめるとしよう。
あなたも、もしどこかで泥だらけの野菜に出会ったら、その重さを確かめてみてほしい。
それはきっと、あなたが生きている証そのものだから。
さて、明日は新玉ねぎをスライスしなきゃ。
あまりの空腹に、自分の指までスライスしないように気をつけないとね。
聞いてくれてありがとう。


